Super Theater Concert
中原中也&ジャン=ギアン・ケラス 「汚れつちまつた悲しみに」
上演概要

          独奏チェロの新世紀を開いたフランスの若き天才、ジャン=ギアン・ケラス。
           その演奏は生と芸術への思索的な閃きと情熱的な煌きに満ちている。
          今在ることの感動を、飾りなく誠実に、しかも完璧な技法で、チェロと語る。
                 人間ケラスの深淵から生まれる感動の音楽が、
             今ここで、中原中也の超越的な美と優しさの詩と、響き合う。

                    主催・製作  日本交響楽協会
                    脚本・演出  丸山哲矢

                    2004年
                    すみだトリフォニーホール 山口市文化会館 ほか

 企画趣旨 
    
  ジャン=ギアン・ケラスは日本でも高い評価を得、多くの音楽ファンに愛されています。1995年
  のブーレーズ・フェスティバルでの初来日以来、2000年サントリーホールでのジルベール・アミ
  の新作「チェロとオーケストラのための協奏曲」(井上道義指揮東京交響楽団)初演、2001年、
  エマニュエル・パユ(フルート)とのツアーおよび日本国内初のソロリサイタル、2002年、すみだ
  トリフォニーホールでの3日連続演奏会「天地人」と、いずれも絶賛を博しました。

  真摯なアーティスト魂と抜群のテクニック、思索的かつ霊感的な音楽へのアプローチと誰の心
  をも揺さぶらずにはおかない純朴な優しさ。ジャン=ギアンは芸術と実人生の超越的な次元を私
  達に開示し、導き、やがては静かな恵みの音楽そのものとなって、私達の上に降り来たってくれ
  るでしょう。彼には、そんな芸術的なメシアの予感が満ち満ちています。

  ジャン=ギアンのチェロは、「昔、中原中也という詩人がいた」ことを運命的に思い出させます。
  中原中也の詩と、詩うように生きようとした人生の、「悲哀に受難した者の痛み」と、「余りにも深く
  掘られた温かさの落とし穴」を思い出させます。中也は詩と人生の一致を「一つのことを一つとし
  てのみやった人」でした。そのことが、「変貌の自由を敢えて拒否した一元論者の悲しみのゼスチ
  ュア」という物腰を付けさせた、とよくいわれます。中也と同じように、真善美への過剰な信と審を
  根にしつつ、中也のようにイリュージョンに誠実でありすぎることは、しかし中也のように悲しみの
  ゼスチュアという胡散臭い物腰で振舞う必要もないことを、教えてくれるのが、ジャン=ギアンの
  チェロです。そう教えてくれた上で、ジャン=ギアンは、私達を、芸術と宗教と実人生とが溶け
  合う、豊饒の海に連れて行ってくれます。

           みつけた  何を  永遠を  太陽とつがう大海だ  (ランボオ) 

           幾時代かがありまして  茶色い戦争ありました
           幾時代かがありまして  冬は疾風吹きました
           幾時代かがありまして  今夜此処での一と殷盛り
                              今夜此処での一と殷盛り  (中原中也)

  私達は、ジャン=ギアン・ケラスと中原中也とが時間と空間を超えて響かせてくれる言の葉を聴
  きたいと願い、ここに、今夜此処での一と殷盛りを企画しました。

 舞台構成(脚本構成ノオトより)

  シェイクスピア風に気取っていえば、これは演劇でありコンサートであり、演劇でなくコンサート
  でない。演奏と詩の朗読というよくある催しとも趣を異にする。今ここにあるのは、ジャン=ギアン
  のチェロ独奏と中原中也の二つの詩集「山羊の歌」と「在りし日の歌」、小林秀雄の「中原中也の
  思ひ出」、大岡昇平の「中原中也ー揺籃」、ランボオの「感動」ほか三つの詩、そしてそれを読み
  解く二人の俳優であり、それらが生きて在る呼吸の深さにおいてコラボレートする時に生じる、
  人生と芸術の不思議な磁場である。中也のいう「今夜此処での一と殷盛り」のうちに、すべての
  個性が時代と国境とを超えて響き合う、音楽と詩の、言霊のイリュージョンとその普遍性である。

  この舞台はごく普通のチェロリサイタルのように始まる。そして、天才たちの魂とその生の光景
  の中を、チェロが、声が、詩が音楽が、言葉が身体が、悲しく爽やかに駆け抜ける。演劇を超え、
  コンサートを超えた不思議な時間が、そこには流れるだろう。

  始まりのチェロ曲の求心性が、世界の明かりを生み出し、そこに、ランボオ、中也、俳優達という
  個性を出現させる。どこか儀式のようであり、ジャン=ギアンは司祭のようである。さらにジャン=ギ
  アンがランボオの詩をフランス語で語り出し、中也のその日本語訳を俳優達が続ける様は、将に
  降霊儀式ではあるが、よくある異様な、俗にいう芝居がかった、そのようなものでは当然ない。
  あくまでも今そこに在る「あたりき」のジャン=ギアン・ケラスと俳優達の、芸術家の実人生の
  ごくあたりまえの集中と想像が、ランボオ・中也を呼び出す、リアルな不思議さなのだ。

  鎌倉妙本寺境内の満開の海棠の下で、小林秀雄が中也の思い出を語り始める。よく知られた、
  あの山高帽と黒マントの中也が歩いている。歩いている。海棠の花びらの散る中を、故郷椹野川
  の河原を、菜の花畑を、一面の麦畑を、曼珠沙華と夕陽の中を、この世の果てを、世にも不思議
  な公園を、十一月の風の中を、霧の降る夜を、陽のさらさららと射す小石ばかりの河原を、
  今まで流れてもいなかった川床に水がさらさらとながれる中を、多分は石ころを足に感じ、
  その冷たさを足に感じ、さぞや緊密な心を抱いて、中也が歩いている。
  時にジャン=ギアンのチェロに聴き入り、ランボオと笑みを交わし、俳優たちと語りながら・・・

  この舞台は、中也がその詩で恋人長谷川泰子に呼びかける「あたりき」ということを様々に展開
  する。汚れつちまつた悲しみの果てに、なお奉仕の気持ちで祈り、やさしくうつくしい夜の歌を歌
  おうとする詩人の生の営みを、私達の心にも起こる人間の「あたりき」として、いかほど祝福でき
  るのか、それを追いかけ続ける。またいえば、きれいは穢い、穢いはきれい、
  不思議は「あたりき」、「あたりき」は不思議を、舞台人の特権的宿命として、追いかけ続ける。   


丸山事務所
ご感想・お問い合わせ

 182-0025 東京都調布市多摩川3-65-2-901
TEL・FAX 0424-86-9482
URL  http://www.maru-gaia.com
Email info@maru-gaia.com
HOME  STATEMENT  PROFILE  芸術文化事業  地域文化事業  宣伝文化事業